ここからは"信心"についてお話いたします。そもそも、"信心"の正式な意味は"神仏を信仰する心"といった感じだと思いますが、ここでは、
信心とは「自分では理解できないことや意識できないことに対して、自分の考えや自分が立てた目標を最期まで貫き通す心」と定義したいと思います。
ここまでのお話の中で出てきました振動理論や植物の声かけ実験もそうですが、何一つとして確かなことはありません。
また、後から登場します南無妙法蓮華経や仏性といったものは、もはや人間が意識的に正しいか正しくないのか確認ができる領域ではありません。
しかし私は、上記の定義で示される「信心」を実践しているため、それらの概念を生活の中心にして毎日を生きております。
さて、多くの方は"神仏を信仰する心"の方の"信心"は、宗教に所属している人がするものだと思っていらっしゃると思います。もちろんその通りですが、
「自分では理解できないことや意識できないことに対して、自分の考えや自分が立てた目標を最期まで貫き通す心」の「信心」であれば、宗教に所属している人だけでなく、
世界中の多くの方々が「信心」をしながら毎日を送っていると思っております。