【信心についてA】

例えば、学者はまだ見ぬ新しい世界について解明できる日が来ることを信じて日々研究していらっしゃることでしょう。また、スポーツ選手は自分の力量や順位が伸びることを
信じて日々練習に励んでいることでしょう。さらには、親は我が子が立派に育つことを信じて子供を一生懸命に育てています。
しかし、まだ見ぬ新しい世界が存在するのか、存在していてもそこに到達できるのかは誰にもわかりませんし、自分がどんだけ努力しても力量や順位が結果としてついてくるとは
限りません。そして、未来のことは予想のしようがありませんから、我が子が立派に育つ保証は残念ながらどこにもありません。
しかし、そこで「だったらそこであきらめる」という判断を下す人間はほとんどいません。学者は奮闘し、スポーツ選手は努力し、親は自分の命をも削って子を守るでしょう。
多くの人間は、自分自身の目標や幸せ、または他人の幸せを信じて生活しているのではないでしょうか。

さらに深く言わせていただくと、「自分では理解できないことや意識できないことに対して、自分の立てた考えや目標を最期まで貫き通す心」=「信心」を実践する方々の中でも、
「自分では理解できないことや意識できないことに対して、いずれ理解できる・コントロールできる・意識できる」と信じる人と、
「自分では理解できないことや意識できないことに対して、決して理解できない・コントロールできない・意識できない」と信じる人がいます。
どちらが正解という事はありません。前者の最たる例が"科学"、後者が"宗教"だと私は思っておりますが、目に見える結果として確認しにくい・意識できないという点では
圧倒的に"宗教"の信心のほうが過酷で厳しいです。

いずれの「信心」にしろ、私は、この先ますます人間の生活が豊かになるにつれて、この「信心」を実践なさる方が増えてくると感じております。


振動理論の日常生活への適用
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